りょうけんの独り言
R6年 うんどうまつりを終えて思うこと
(とっても久しぶりの独り言・・・) だいぜんじ幼稚園は、「子ども達のため...
園内日誌
りょうけんの独り言
ようやく非常事態宣言が解除され、だいぜんじ幼稚園は5月22日から分散登園が始まりました。6月から通常登園を開始する予定です。久しぶりに子ども達の笑い声や泣き声が聞こえ、嬉しく思っています。
大人も子どもも生活が変わりました。マスクや手洗い消毒、ソーシャルディスタンス、テレワーク、時差出勤、私たちの生活は一変し、これからさらに世界は変わっていこうとしています。私自身、この生活の変容に対してストレスを感じ、思うようにいかない気持ちや、保護者の方々、園児たちに申し訳ない気持ち、ジレンマを感じています。
そんな中、養老孟子さんの記事を拝読し改めてこの社会の在り様について、そして教育について考えさせられました。
養老孟子先生の仰ることは、昔から一貫して変わりません。多くの著書での表現は様々ですが、私は「人間は自然の一部であり、それ以上でもそれ以下でもない」という具合に解釈しています。教育や仏門にも通じるところが多く、その言葉には毎回とても勉強させられています。
※ 養老孟子先生の記事も合わせて読んで頂くと幸いです。
養老孟司氏、「将来の夢はYouTuber」の子供達に伝えたいこと NEWSポストセブン 2020年05月23日
自分で「考える」ことがいかに大切か。
人は、食って寝て、時間がたてば、そのうち勝手に「大人」になりますが、考える力が備わっていないと「成熟した人」にはなりません。体や社会的立場は「大人」になるので、勘違いしてしまいますが、本来成熟した人を大人と言うべきかも知れませんね。
だいぜんじ幼稚園では、近年、教育内容や方法を再考し、「子どもの主体性を大切にする保育」に舵を取っています。幼児教育や小学校中学校、そして高校や大学も含めて、今日本の教育はダイナミックに改革されています。
それは、まさに「自分で考えて行動する力」「新しいものを創造する力」を備えた人を育むための教育です。これまで「言われたことをきちんとやる力」を育んできた日本の教育。そのおかげで、凄まじい勢いで戦後復興を遂げ、高度経済成長し、日本は世界でも有数の裕福な国になりました。
しかし、これから子ども達に待ち受ける予測不可能な社会を生き抜くためには、自ら考え、ゼロから新しい価値を生み出す力を持つ必要があります。その為に、だいぜんじ幼稚園は、創立当初から守ってきた教育理念は大切にしつつも、その「方法」を新しいものにしていくことにしたのです。
例えば、「今からトイレにいくよ~」「さあ、みんなお茶を飲んで~」という先生の声掛け。ちゅうりっぷ組や年少さんにはある時期まで必要ですが、年中さんや年長さんも毎日、卒園までこの声掛けがなされていました。
これってどうなんだろう?
教職員としては長年当たり前にやってきたことですが、「いつトイレにいくべきか」「これからアレをするから、今のうちにお茶を飲んでおくか」など、子ども達の「考える力を育む芽」を奪っているのではないか。
例えば、外遊びを終えて片付けに促すために流すBGM。お片付けが始まるといつも同じ曲が流れるので、条件反射的に動きます。
これってどうなんだろう?
「先生がなんて言っているかを聴く力」「もっと遊びたい時に、先生になんて言おうか(交渉力)」「時計を見る力、時計を見て行動する力」を育む機会を奪ってやいないか。
先生に言われて動くことも、とっても大事ですが、自分達で考えて行動し創りあげることも同じくらい大切です。だいぜんじ幼稚園でずっと当たり前にやってきたことを、教職員全員で改めて考え直し、本当に「すべては子ども達のため(=教育理念)」になっているかどうか、一つ一つ丁寧に問い直していきます。
「人間は、自分の体すら意識でコントロールできない」養老孟子先生の言葉が改めて考えさせられ、これからのコロナ社会を生きる上で大切な考え方だなと思います。人間はあくまでも自然なのであり、思い通りにしているつもりの社会生活は、実は何も思い通りにはなっていないこと。もっとも自然に近いのは、我々の子ども達であること。子ども達をコントロールできると自惚れている大人社会が、どれほど子ども達に影響を与えているか。自戒の念をこめて筆を取りました。
保護者の皆さん、異例の年度運営になっておりますが、職員一同力を合わせて頑張って参ります。ご不便ご面倒をお掛けすることも多くなりそうですが、どうぞご理解とご協力を賜ります様お願い申し上げながら、「年度始めの挨拶」とします。よろしくお願いします!
りょうけん